なぜニワトリ?



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なぜニワトリ?
ってよく聞かれます。

中には純粋な好奇心から聞いてくる人もいますが、ニワトリなんてものを一体どんな理由で飼うんだろう・・・理解できない、と思っている人が大半かも知れません。


そんな時は私は単にこう答えています。


面白いから!ニワトリが好きだから!
私はベジタリアンだけど・・・。

なんでニワトリ飼うの?


実は重大な理由があるんですが、答えるには長すぎていつも話せず終いです。





ええーと、実は・・・・・




もしも時間に余裕があり聞く耳を持っていただけるなら、これから読み進めていただけると嬉しいです。



【ニワトリを飼う本当の理由





その前に私は質問してきた人にこう聞いてみます。


最後に卵を食べたのはいつか覚えてますか?


もし答えられないなら、私が代わりに答えてみせます。


それはおそらく今日です気づいていないかもしれませんが。


卵というと目玉焼きやオムレツを思い浮かべるかもしれませんが、実際はそれらだけではないのです。
ほぼ全ての菓子パン、ケーキ、プリン、アイスクリームなどその他多くの食べ物の中に卵は含まれているのです。


そうです。


卵を食べてるんだけどそれに気づいていないだけなんです。



そして、気づかないから卵について考えることができないんです。


試しに聞いてみますが、卵を食べている時にニワトリについて最後に考えたのはいつのことでしたか?


当然ながら全ての卵はどこかでニワトリにより産み落とされたものですが、一旦加工されてしまうと、食物の内容物のラベルを見るまで卵を食べていると気づかないものです。


ところでそのニワトリはどんな状態にあるか考えたことがありますか?


日本では、ほぼ99.9%の割合でニワトリはこのような状態にあります。




同様に、茶色い卵を産む種類のニワトリであればこうです。




上の写真2つはインターネット検索で出てきたものではなく、私が実際に目にし、私が撮影した写真です。以前住んでいた場所の近所の養鶏場で撮影しました。
この養鶏場ではわずか14000羽のニワトリが飼われていました。
2013年の養鶏場の卵用のニワトリの平均羽数が52000羽( Data from 2013. Japan Poultry Association.鶏卵をめぐる情勢 から抜粋)なのでそれからすると小規模と言えます。


これらの写真で鶏舎がどのような状態かが全て伝わるわけではありません



写真ではストレスから悲鳴のようなニワトリの声は伝わりません。
写真では空気中に飽和する埃や積み上がった鶏糞から漂う強烈なアンモニア臭は伝わりません。


下の一枚は、檻で死骸となったニワトリが横たわる中で生きているニワトリです。



この場所にいることは決して気持ちのいいことでありませんでした。
それはニワトリにとってもそこで働く方々にとっても幸せなことではないはずです。


この養鶏場で働く方々の労働は週6日です。週6日もの間このような環境にいるには、感情を麻痺させる以外に道はありません。(家族経営のこの養鶏場は週休1日)


【それが私にできることだから】



この養鶏場を知ってから、これからは放し飼いのニワトリが産んだものを買おうと決めました。

個人的な選択としては、それで問題ないでしょう。この大きな畜産の仕組みの中において、一人では何もできません。

私は動物の権利を訴える活動家でもなければ、このような悲惨な写真を周囲の人たちに見せて回り改善を求めるのが良いやり方だとは考えていません。
それは行き過ぎたやり方であって、そんなことをしたらみんなから嫌われるだけです。
説教されることを好む人はいないし、私も好きではありません。


私自身が動物のいくやり方でニワトリを育て、そしていずれはそれが世界中のニワトリに続いていけばいいと望んでいます。
その過程の中で、普段ケージ飼い(狭い檻で飼われている一般的なニワトリ)の卵を買うしかない人たちにも、私たちの放し飼いの卵をお分けできるのです。


【最後に】


ここまでお読みいただいた方にもう少しだけお付き合いください。

マイケル・ポランの"Omnivore's Dilemma"を読んだことはありますか。

この本は食について書かれています。より正確には、”アメリカの摂食障害”についてですが、ここでのポランの考察は全ての先進国に当てはめることができます。

ポランは自身のアイディアを適切な言葉で飾り付けすることに長けています。
だから彼の本はベストセラーなんでしょうけど。
ですので、ここは私の下手な言葉より彼の言葉を拝借させてもらおうと思います。

原文で失礼します。

[T]he way we eat represents our most profound engagement with the natural world. Daily, our eating turns nature into culture, transforming the body of the world into our bodies and minds. [...] What is perhaps most troubling, and sad, about industrial eating is how thoroughly it obscures these relationships and connections.  [...] If we could see what lies on the far side of the increasingly high walls of our industrial agriculture, we would surely change the way we eat. (Omnivore's Dilemma, p. 10-11)

"Eating is an agricultural act,"as Wendell Berry famously said. It is also an ecological act, and a political act, too. Though much has been done to obscure this simple fact, how and what we eat determines to a great extent the use we make of the world --- and what is to become of it. To eat with a fuller consciousness of all that is at stake might sound like a burden, but in practice few things in life can afford quite as much satisfaction. By comparison, the pleasures of eating industrially, which is to say eating in ignorance, are fleeting. 
(Omnivore's Dilemma, p. 11)


What we eat matters. That's why chickens.


最後にふさわしい動画を紹介して終わりにしたいと思います。
この動画では、私たちのところで飼われているニワトリたちが夏の大好きなおやつにがっつく様子が見て取れます。ニワトリたちの生き生きとした生命が伝われば幸いです。



ここまで読みいただきどうもありがとうございました。






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