● のぶお●
つくば市でサラリーマン(社内SE)をする傍ら、ソーラーシェアリングの下でニワトリやヤギに遊び場を提供しています。
今は茨城県つくば市に住んでいますが、幼少期からとにかく引っ越しが多い人生を歩んできました。
よい機会なのでこれまでに住んだことのある町をあげてみました。
住んだことのある町
川越市 → 摂津市(2) → 相模原市(2) → Heidelberg(2) → Erfurt(2) → Weiterstadt → Langen → 土浦市 → つくば市(2) → 足立区 →
つくば市 (今ここ!
※()内の数字は同市内での引っ越し回数
途中ドイツが入りますが、我ながらよくこれだけ移住してきたな、という感じです。様々な場所に住んだり、その土地の人たちと関わることは面白い事と思っていますが、その反面これまでの引越し費用は相当なものだろうと思います。
十分引越しをしてきたので、おそらく今のつくば市で最後になることでしょう。
バックパッカー
学生時代には使える英語を勉強したいと思い、ボランティアをしながら旅行するスタイルで1年間バックパッカーをしていました。当時テレビ番組で若手芸人(猿岩石)がヒッチハイクをして旅をする企画が放映されているのをみてこれいいやん、と思ったのがきっかけ。
ヒッチハイクは危険という感覚は自分にもあったので、何かもう少し安全な旅の仕方はないかとインターネットで探していたところ、ボランティアをしながら旅をする方法があることを知りました。
オーストラリアにあるInvolvement Volunteerという団体に登録すると、オーストラリア、ニュージーランド、フィジーなどの国でボランティアの”仕事”を提供してくれます。基本的にそこで働いていればご飯と寝泊まりする場所は無償で提供してくれますので、学生でお金がなかった私はこれ以上良い旅の方法は他にないと思っていました。
と言っても当時は学生だったので、何か特別できるようなことはなく、ボランティア活動はファームステイが主でした。
ファームステイの仕事は家畜を移動させたりすることがよくある仕事なので、よく羊を追いかけてましたよ。
今はヤギやニワトリを追いかけてますが💧
現地で出会う人たちに対して、自分の老後は家の庭でニワトリに餌をやりながら余生を送るような生活をしたいと話していたことを思い出しました。
まさかリタイア前にニワトリを飼うことになるとは思いませんでした。
2000年から2006年まではドイツに住んでいました。
最初に就職した会社がドイツ勤務だったため大学卒業後はそのままドイツへ。
何も分からない状態でドイツへ行ってしまったこともあり、最初に務めた会社を半年で辞めることに。
その後ドイツ国内で就職活動をして運良く日系の会社で働かせていただくことになりました。仕事は今の仕事と同じ社内SEでした。
この日系の会社はヨーロッパ各地に販社や工場を展開しているある程度規模のある会社で、私の最初に課せられた業務は、各地にあるルーターと呼ばれる機器を新しいものに入れ替えること。
それは聞いた時私はやっぱりこう思いました。
タダでヨーロッパ中を旅行できて、しかも給料でるやん。
しかし、当然ですが仕事でいろんな場所に行っても、時間がないので旅行している気分にならないんですね^^;
学生気分がまだ続いていた頃なので、ここぞとばかりに週末や休暇を利用してヨーロッパ各地を旅して回っていました。
当時は格安航空券で信じれらない値段でドイツからヨーロッパ主要な国のチケットが購入できました。
ドイツからイタリアへの航空券の代金が120円なんて時もありました😃 空港使用料の方が高いくらい・・。
日本でいうと映画村みたいな感じでしょうか オーストラリア スワンヒル Pioneer Settlement Swan Hill Australia |
と言っても当時は学生だったので、何か特別できるようなことはなく、ボランティア活動はファームステイが主でした。
ファームステイの仕事は家畜を移動させたりすることがよくある仕事なので、よく羊を追いかけてましたよ。
今はヤギやニワトリを追いかけてますが💧
現地で出会う人たちに対して、自分の老後は家の庭でニワトリに餌をやりながら余生を送るような生活をしたいと話していたことを思い出しました。
まさかリタイア前にニワトリを飼うことになるとは思いませんでした。
ドイツ時代
2000年から2006年まではドイツに住んでいました。
最初に就職した会社がドイツ勤務だったため大学卒業後はそのままドイツへ。
何も分からない状態でドイツへ行ってしまったこともあり、最初に務めた会社を半年で辞めることに。
その後ドイツ国内で就職活動をして運良く日系の会社で働かせていただくことになりました。仕事は今の仕事と同じ社内SEでした。
この日系の会社はヨーロッパ各地に販社や工場を展開しているある程度規模のある会社で、私の最初に課せられた業務は、各地にあるルーターと呼ばれる機器を新しいものに入れ替えること。
それは聞いた時私はやっぱりこう思いました。
タダでヨーロッパ中を旅行できて、しかも給料でるやん。
しかし、当然ですが仕事でいろんな場所に行っても、時間がないので旅行している気分にならないんですね^^;
学生気分がまだ続いていた頃なので、ここぞとばかりに週末や休暇を利用してヨーロッパ各地を旅して回っていました。
グラスゴー郊外 イギリス |
ドイツからイタリアへの航空券の代金が120円なんて時もありました😃 空港使用料の方が高いくらい・・。
弟と一緒に旅行したベネチア イタリア |
もちろん、海外生活は楽しいことばかりではありませんでした。
滅多にないことではありますが、人種差別のような扱いを受けることもあり、自分にはドイツという国は合っていないのかなとなんとなく感じていました。
30歳を前にして、このままドイツに残るか日本へ戻るべきか悩みました。
紙とペンを取り出し、日本に帰国した場合のメリット・デメリットを書きだしてみると、驚くことに日本帰国でのメリットはどんどん書いていけたのにデメリットが上がってこない。
もう帰るか。
日本で希望する職種と勤務地で仕事が見つかり、転職することにしました。
ドイツにいながらにして、日本での就職できたのはインターネットのおかげでもありました。
ネット時代に感謝です。
初めてのニワトリ
2011年につくば市の養鶏場の一角を借りて33羽のひよこを入れて平飼い復活プロジェクトとして初めて養鶏を始めました。
全くの素人でしたが、少しでも広い場所でのびのびと生きることができる平飼いでニワトリを育てようと思い始めました。
※ちなみに私はヴィーガンでもベジタリアンでもありません。
好きな食べ物は焼き鳥です。
当時住んでいたアパートからすぐ隣にあった巨大な鶏舎ではケージ飼いで13000羽が飼われていました。
卵の値段を下げるため効率化を追求した結果、ニワトリたちの生活は悲惨なものになっていました。
ケージ飼いのニワトリたち スペースに2羽のニワトリ が入っていました |
不衛生な環境やストレスで苦しむニワトリたちが産む卵を、私は食べたいと思わなくなりました。でもこれは私だけではなく、この現状を見た人は大抵同じ感情を持つのではないでしょうか。
以来、私はこのようなケージ飼いで飼育されているニワトリの卵を買うことをやめました。それを買うことは、この養鶏の仕組みをサポートしてしまうことになるからです。
そして下の写真が、私たちがケージ飼いのすぐ隣の敷地で飼っていたニワトリたちです。
止まり木を作ったらちゃんと使ってくれました |
広くはありませんでしたが、少なくとも自由に動けるスペースはあるわけです。
まあ、これは自分たちの趣味だから出来るのであって、これで生計を立てる事になるとしたら、見方は変わって来るかもしれません。
今見るとみんな若いです |
養鶏業の事業性とニワトリたちの福祉のバランスはどうにかならないものかと思っています。
このプロジェクトは、2011年9月から2012年3月までとなりニワトリたちは知人の農家で養鶏を営んでいる方にお譲りし、終了となりました。
つくばで太陽光発電所
2011年の東日本大震災をきっかけに、日本はエネルギーをそれまで大きく依存していた原発や化石燃料から再生可能なエネルギーに方針転換しました。
FITと言われる制度の中で太陽光発電の固定買取制度が開始され、私たちもその制度の中で太陽光発電所を作ろうという考えに至りました。
太陽光発電所を立てた場所 つくば市大(おお) |
その発電所の敷地内でニワトリを飼うことは既に決めていたので、ニワトリの世話を毎日するためには、どうしても住む場所を太陽光発電所の場所が近くする必要があったのです。
今では毎日通勤と帰宅時には発電所に立ち寄りニワトリやヤギの様子を見るのが日課になっています。
のびのびと自由に走り回るニワトリやヤギはただ見ているだけで楽しいものです。
くつろぎ過ぎているニワトリとヤギ |
近所の保育園や小学校から児童らが見学にきたり、犬の散歩などで立ち寄られる方々がいたりと、小規模ながら地域交流の場になっているようでソーラーシェアリングという形態にして良かったと思います。
手に入ったものと今後手に入れたいもの
太陽光発電だけなら売電収入だけしか手に入りませんが、
ソーラーシェアリングにしているおかげで、私たちにはニワトリやヤギがいてくれます。
彼らの世話をする上で大変なことも多いです。
ですので、簡単な柵や小屋など何かと自分たちで造作するようなことが多くなりました。
結果、DIYが少し上手くなるという嬉しいこともあります。
電動工具、大工道具の使い方を覚えたことで日常の身の周りのものも、買う前にまず自分たちで作れないかなって考えるようになりました。
時間をかけてやっと作った柵をすぐヤギに壊され心が折れそうになることもありますが、ヤギの顔を見ると怒る気になれません。
はるちゃん |
私たちにとって最も大きかったことは、ニワトリとヤギのおかげで様々な人たちと繋がることができたことです。
地元地域はもちろん、他県、外国から様々な背景の人たちと出会うことができ、アドバイスをいただきながら発電所や飼育環境の改善のアイディアとしてきました。
今後も継続して地域を中心に人が集まる場としていければと考えています。
今は会社員という身なので、使う時間は限られていますが、ゆくゆくは本当にやりたいことに対して自由に時間を使えるようにしていきたいと考えています。
● スー ●
チェコスロバキア時代生まれのスロバキア人。
12歳の時に国がチェコとスロバキアに分かれた。
かれこれ在日10年以上。
絵を描くことが好きなベジタリアン。
野菜、読書、動物が好きです。
特に関心のあるトピックとしては、都市計画、動物の福祉、食の問題、環境系ならなんでも。
ブログではこのソーラーシェアリングについてのことはもちろん、関心のあることなどに関連すれば書いていきます。
学生時代の話を少しだけ。
某大学院入試の時に試験時間が余ってしまい答案に絵を描いて提出したことがありました。
あとで、担当教授に絵が描かれた答案は初めて見ましたよ、と言われる始末。なぜかその試験をパスしてしまったのだから、答案に書いた回答が良かったのか、描いた絵がよほど良かったのか、今でも分からない。
ペーパー試験はパスしたものの結局そこには進学はしませんでした。
高田の馬場にある某協会で3年ほどスロバキア語を教えていました。その時の経験からスロバキア語学習のためのYoutubeチャンネルがあります。ここ2年ほど更新はありませんが。
あまりスロバキア語のレッスン教材はないので今でもそこそこのアクセスがあります。
このチャンネルでは、日本にいて一番よく聞かれる質問の答えを動画にしておきました。
それはなぜチェコスロバキアは解体したの?というものです。ご興味のある方は上で紹介したリンクからご覧ください。
大学院卒業後は、周りが一般企業に就職する中、豆腐職人になるべく修行開始。3年費やしたが、自分は豆腐を作るよりも食べることの方が好きだとこの時ようやく気づく。
その後、兼ねてから取り組んでいた養鶏と太陽光発電を組み合わせた素晴らしいソーラーシェアリングの仕組みに出会い、とりの遊び場を作ることに。
オリジナルキャラクターを考えてTシャツなど販売もしていたりもします。
最近ではLINEスタンプの製作を依頼されて作ってみました。ご興味のある方はこちらからご覧ください。
● クリスティン ●
やれやれ |
他のどのニワトリよりも先に敷地から逃げ出すことに成功したパイオニア。
ただ、そのおかげで犬に襲われ大怪我をすることになってしまった。
動物病院に運ばれ外科手術を受けることに。
その時の模様はこちら。※本文英語のみ
身にしみたのか。それ以来敷地の外にでることはなくなった。
独創性と行動力からこの名がついた。
● なっちゃん ●
道の真ん中で寛ぐなっちゃん |
とにかくよく食べる。
今いる4頭の中のボス。
最近、近所の庭に侵入し植栽や栽培している野菜を食べていたことが発覚。
それでも食べることはやめない。
昔は可愛い子ヤギだった。
当時の貴重な映像が残っていますのでぜひご覧ください。
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